高岡山瑞龍寺 その2(山門から仏殿へ)
2009年 08月 13日
瑞龍寺の続き、その2・・・・・
国宝の山門をくぐると、目の前に美しく手入れされた芝生の先に端正な仏殿が鎮座している。
この仏殿も国宝である。
この仏殿、パンフレットおよびHPによれば・・・
棟札によって万治二年(1659)に建立されたことが明らかである。
この仏殿は全国においても他に例を見ない貴重な建築である。おそらく山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つであろう。伽藍の中央に位置し、基壇上に雄然と立つその姿は重壮完美まことに賞する言葉もない。まず外観を見るに、屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例を見るのみでこれ亦貴重な遺構と云わねばならない。
上層軒組は、三手先の詰組とし、整然と配列された扇捶等共に禅宗様建築の純粋な形式を表現したもので、注目せざるを得ないところである。一歩堂内に入れば、まず、すくすくと並列する柱が目につく。更に天井には優雅な曲線をもつエビ虹梁など、複雑にして、しかも妙を得た架構法は、実にここならではの感を深くし、只驚嘆のほかない。またこれらの用材はすべて欅の良質材で、その他床一面の戸室石の四半敷きをはじめ、須弥壇及び木階等の精巧な細工は、棟梁の命脈に通じるものがある。
仏像は、三百有余年前中国から渡来されたもので、釈迦・文殊・普賢の所謂三尊が安置されている。天蓋も当時の作品であって、ハスの繊維と絹をもって織られたものと伝えられ、共に注目に値するものである。
と、ある。
白っぽく見える屋根瓦は珍しい鉛瓦である。
金沢城の石川門も同じ鉛瓦であるが、一説によると、有事の際の鉄砲の弾に鋳込み直すための貯蔵を兼ねているとか。
さすが、藩主の菩提寺である。
かなり前であるが、仙台に行った時に東北大学の金属博物館を訪れたことがあるが、そこでこの瑞龍寺の鉛瓦が展示してあったのを見て驚いた。
この仏殿、中に入って天井を見て驚かされる。
上記説明にあるように木組みがすごい!
さて、次は法堂へ・・・・続く・・・・(^.^)
国宝の山門をくぐると、目の前に美しく手入れされた芝生の先に端正な仏殿が鎮座している。
この仏殿も国宝である。
この仏殿、パンフレットおよびHPによれば・・・
棟札によって万治二年(1659)に建立されたことが明らかである。
この仏殿は全国においても他に例を見ない貴重な建築である。おそらく山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つであろう。伽藍の中央に位置し、基壇上に雄然と立つその姿は重壮完美まことに賞する言葉もない。まず外観を見るに、屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例を見るのみでこれ亦貴重な遺構と云わねばならない。
上層軒組は、三手先の詰組とし、整然と配列された扇捶等共に禅宗様建築の純粋な形式を表現したもので、注目せざるを得ないところである。一歩堂内に入れば、まず、すくすくと並列する柱が目につく。更に天井には優雅な曲線をもつエビ虹梁など、複雑にして、しかも妙を得た架構法は、実にここならではの感を深くし、只驚嘆のほかない。またこれらの用材はすべて欅の良質材で、その他床一面の戸室石の四半敷きをはじめ、須弥壇及び木階等の精巧な細工は、棟梁の命脈に通じるものがある。
仏像は、三百有余年前中国から渡来されたもので、釈迦・文殊・普賢の所謂三尊が安置されている。天蓋も当時の作品であって、ハスの繊維と絹をもって織られたものと伝えられ、共に注目に値するものである。
と、ある。
白っぽく見える屋根瓦は珍しい鉛瓦である。
金沢城の石川門も同じ鉛瓦であるが、一説によると、有事の際の鉄砲の弾に鋳込み直すための貯蔵を兼ねているとか。
さすが、藩主の菩提寺である。
かなり前であるが、仙台に行った時に東北大学の金属博物館を訪れたことがあるが、そこでこの瑞龍寺の鉛瓦が展示してあったのを見て驚いた。
この仏殿、中に入って天井を見て驚かされる。
上記説明にあるように木組みがすごい!
さて、次は法堂へ・・・・続く・・・・(^.^)
by TR3_blog
| 2009-08-13 20:04
| Nikon D700